校長室の「時鐘」

校長室に大きな釣鐘があります。高さ約50cm,直径も約50cm。透明のアクリルカバーを外して持ちあげてみようとしても,とても一人では動きません。

IMG-214x300[1]

さて,この鐘はなぜ大生原小学校にあるのでしょう。授業の始まりの鐘として使っていたとはとても思えません。お寺の鐘にしては小さすぎます。

いろいろ当たっているうちに,判りました。この鐘は「時鐘」と言って,北浦海軍航空隊(予科練)で使われていたものなのです。

kaneIMGP0369

この海軍航空隊は「水上飛行機」の部隊です。すでに太平洋戦争が始まっていた昭和17年(1942年)に,大生の北浦湖畔(今の「マリーナ」のところ)に,兵舎,講堂,本部などが建てられ,約2000人の航空隊員が生活していたというのです。この鐘は,時を告げるために午前10時,正午,午後3時,夕食前に鳴らされていたと言います。昭和20年(1945年)の6月になると,米軍機による爆弾投下や機銃掃射でかなりの被害を受けたそうです。

戦後,航空隊の跡地は「大生原中学校」として利用されていました。合併により潮来第二中学校が創立したのが昭和37年(1962年)ですから,それまでの間,中学校として利用されていたことになります。当時を知る区長さんは,「あのころ,中学校には珍しく,海軍で使っていた足もつかない深いプールがあって,そこで水泳の練習をして,県大会に行った記憶がある」と話してくれました。

そう考えると,この「時鐘」はそのまま中学校にあったと考えられます。そして,いよいよ中学校がなくなるという段階で,「時鐘」は大生原小学校に来たのではないでしょうか。いや,ひょっとしたら戦後はじめから鐘は本校に来たのかもしれません。(このころの情報がないので,推測にすぎません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら,是非ご一報ください。)

この写真は,昭和46年(1971年)11月に「農協書道展入選」記念に撮影したものです。

kaneIMG

昭和47年(1972年)に今の新校舎が立ち,旧木造校舎は解体されますから,玄関に「時鐘」が下がっているのが判る貴重な写真です。「旧校舎」に通っていたという区長さんは,「確かに,玄関に下がっていたなあ」と懐かしんで話してくれました。

そして,さすがに新校舎になったときに,「時鐘」は校長室へ移された経緯があると想像できるのです。

*平成23年度 大生原小学校だより 第9号 (平成23年9月28日)より

 

<追記>

実は旧木造校舎に通っていた区長さんたちも,実際にこの鐘の音を聞いた記憶がないそうです。ある区長さんは,「玄関前に下がってたけれども,そこは職員室のすぐ目の前。とてもいたずらで鳴らせるものではない」と言っていました。そこで,この「時鐘」を,平成23年度の「創立100周年記念式典」でよみがえらせようと考えました。その話に,地元ボランティア組織の「般若倶楽部」の方々が乗ってくださり,「吊り台は寄付する!」と言って下さったのです。その好意によって,平成23年11月6日の「創立100周年記念式典」の一大セレモニーとして,この「時鐘」が児童の手によって鳴らされました。その時の様子は,その日の夕方のNHKニュースでも取り上げられました。

P11807031-300x225[1]

その後,この「時鐘」は,大生原小学校の卒業式の折に,卒業生の退場シーンで,卒業生ひとりひとりが「巣立ちの鐘」として鳴らしていくことになりました。また,入学式では,この「時鐘」の音を合図として新入生が入場します。大生原小学校の伝統になりつつあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です